神様がくれた贈り物

日々のできごと、気づき、その時々に助けられたり、共感した歌やことばなど。

薪で支える家

日曜夜の番組、「大改造!!劇的ビフォーアフター」が好きでよく見ています。今夜は「薪で支える家」の前編でした。

四国の山奥にぽつんと立っている築100年の家で、とにかく、ボロボロなんです。家には水もガスも通っていないんです。家主の女性(67歳)が背中に焼酎のペットボトルをしょって50m離れたところからさらに10m下ったところまで降りていって、湧水を汲んで16キロの水をしょって戻ってくるんです。今の日本で考えたら、人が住める環境ではないでしょう。

しかし、彼女には、この家をどうしても守り続けたい理由があるのです。

幼い頃、ご両親が離婚して、子供3人を残していなくなってしまったのです。残された子供たちを引きとり、育ててくれたのは近くに住む叔父夫婦でした。この家はその叔父夫婦の家なのです。

もし、彼らが助けてくれなかったら、妹弟と一緒に暮らすことができなかった、だから本当に感謝しているのです、と。住み込みで働きながらも、週に一度は必ずこの家に帰ってきて、仏壇のお参りをしています。

家は、中も外もボロボロなのに、、、仏壇だけは、とてもきれいで、たくさんのお供えがありました。そして、数えきれないくらいのおちょこやコップに水を入れて、お供えしている姿を見て、番組を見ていた父も母も私も、同時に涙が溢れてきました。普通せいぜい、1つとか2つとかじゃないですか?それが20個以上はあったように見えました。ご先祖様の分なのでしょうか。そのおちょこの数を見て、彼女の感謝の気持ちの大きさが伝わってきたのです。

幼い頃、両親が離婚して、子供を捨てて家を出ていってしまった、というのは大きな心の傷となったことでしょう。しかし、幼い妹と弟を託されたお姉ちゃんは生きていくことで精いっぱいでその悲しみを感じる余裕さえなかったかもしれません。

おちょこの数は、感謝の気持ちの大きさだけでなく、彼女の苦しみや悲しみの深ささえも表していたのかもしれません。そして、苦しみや悲しみは、感謝の気持ちへとカタチを変えることができるのかもしれない、と思いました。