神様がくれた贈り物

日々のできごと、気づき、その時々に助けられたり、共感した歌やことばなど。

観察が教えてくれること

私は、大学から合わせると14年半、有機化学をやってきたけれど、学問としては別に好きでもなんでもなかったのです。他の研究者のように好奇心から論文を読んだり、勉強したり、というようなことを全くと言っていいほどしてきませんでした。やったのは、試験の前やプレゼンの前くらい。

 

だけど、不思議と化学の実験はとても好きでした。いつも、ものすごく集中してやっていました。試薬や試験管、フラスコ、データなどと、一対一で何時間も向き合うことができたのです。

 

知識がなかった(得ようともしていなかった)から、ひたすら観察から情報を得ていたのか、それとも、観察が大好きだったから、知識を必要としていなかったのか・・・たぶん、観察が大好きだったんだと思います。幼い頃からそういう子供だったので。

 

会議などのプレゼンでは、質疑応答の時間になるといつも心臓がドキドキでした。知識の無さがばれるのを心の底から恐れていたのです。本当にみんなからの質問が怖った。一度大失態をして、一週間くらい床に這いつくばるくらい、落ち込んだこともありました。

 

ところが、不思議なことに、観察から得たものと人からの必要最低限の知識のサポートと「絶対に成功させたい!」という想いだけで、大学時代、研究室で誰も成功したことのなかった反応に成功したり、会社でも、自分でも信じられないような成果をたくさん出すことができたのです。

 

その経験は、なかなか自信を持てない自分に、今も勇気を与えてくれます。

 

知識は”あればあっただけ良い”というものではなく、時に、知識が現実を見えなくさせることがあると思います。

 

化学反応は、わずかな構造の違いや温度、湿度などの条件で、同じようにうまくいかないことも多々あります。それでも、思い込みではなく、その瞬間その瞬間に集中して観察することで、分かってくることがありました。

 

人と向き合うのは、もっと大変です。人によって、また同じ人であっても、その瞬間その瞬間でまったく違う状態にもなり得るからです。そして、分からなくなるほど、人はそれを埋め合わせようと知識でカバーしようとするのかもしれません。

 

要するに何が言いたいかというと、実践が大切だなと改めて気が付いたということです!